人物像:問題児と呼ばれた男の素顔
1987年にメジャーデビューしたGuns N’ Rosesは、瞬く間に全米ロックシーンを席巻し、一躍ロックスターに駆け上がりました。洋楽ロックのリスナーで同バンドを知らない人はいないでしょう。
そして、Guns N’ Rosesのフロントマンであるアクセル・ローズは、80年代後半から90年代前半にかけて、ロックファッションの象徴にもなりました。
長髪にバンダナ、細身の体型を活かしたタイトなレザーやデニム。ランニングや短パンでも絵になる、ラフさと色気の両立。
その反面、彼に抱くイメージは常に光と影が同居していました。ステージでは観客を魅了する華やかなロックアイコンでありながら、舞台裏では衝動的な行動や激しい気性が話題になることが多くありました。
華やかな外見と完璧なカリスマ性の裏側に、なにが潜んでいたのでしょう。アクセル・ローズは単純な不良性だけでは語れない繊細な一面も持ち合わせているのです。
アクセル・ローズの音楽性
アクセル・ローズは、デビュー作『Appetite for Destruction』で見せた攻撃的なハードロック路線によって一躍スターダムにのし上がりました。しかし、その音楽的関心は一つのスタイルに留まるものではありませんでした。
彼はブルース、クラシック、ゴスペル、さらには映画音楽にまで幅広く影響を受けており、その造詣はバンドの楽曲構成にも色濃く反映されています。
たとえば、「November Rain」や「Estranged」といった大作バラードでは、ストリングスやピアノを用い、ロックを超えた壮大なサウンドスケープを描き出しました。また、「Civil War」や「Coma」では、複雑な構成とテンポ変化を駆使し、単調さとは無縁のドラマ性を持たせています。
こうした楽曲群は、彼が単にシャウトを響かせるだけのフロントマンではなく、幅広い音楽語彙を持ち、ジャンルを越えて物語性を構築できるソングライターであることを証明しています。
結果として、Guns N’ Rosesはハードロックの枠組みを越え、より多面的な音楽性を持つバンドへと進化していきました。
アクセル・ローズの軌跡
出生
アクセル・ローズは1962年、アメリカ・インディアナ州ラファイエットに生まれました。出生名はウィリアム・ブルース・ローズ・ジュニア(William Bruce Rose Jr.)。母親は当時まだ10代で、若くして彼を出産しています。
幼少期における虐待経験
アクセル・ローズの両親は、彼が2歳の頃に離婚し、母親はスティーヴン・L・ベイリー(Stephen L. Bailey)と再婚。これを機に、彼は継父の姓を名乗り、ウィリアム・ブルース・ベイリー(William Bruce Bailey)として育ちました。
この継父がアクセル・ローズにとって、大きな影響を与える存在になるのです。継父は厳格なキリスト教信者であり、幼少期のアクセルは週に何度も教会に通いました。
また、家庭では、宗教的に抑圧的な環境と“虐待”が日常化。アクセルの義理の姉妹も含め“性的虐待”まで受けていたそうです。この虐待経験は、アクセルの人格形成や後の反骨的な姿勢に大きく影響したと見られています。
後にアクセルは、継父からの虐待について、母親もその事実を知りながら見て見ぬふりをしていたと語っています。
“I knew it was crazy, but I accepted it as normal behavior for my life… and I realize now that it wasn’t normal behavior, and it’s caused me to act in many ways because it’s what I was trained, it’s what I was taught, it’s what I saw.”
(狂っていることは分かっていた。それでも、“当たり前のこと”として受け入れていたが、今になって、それが普通のことではなかったと気づいた。自分がそう仕込まれ、そう教え込まれ、そういう光景を見て育ってきたからこそ、いろいろな行動に影響を及ぼしてきたのだ。)
出典:Revolver Magazine “The Uncompromising Truth About Axl Rose” (2022, Revolver)
高校時代の素行不良と補導の常習化
小学生の頃、教師に「とても頭がよく感じもよい子で、クラスをリードする存在だった」と評されるほど聡明かつ人懐っこかったアクセル・ローズ。また、中学生〜高校初期には合唱やピアノに親しむ音楽面が現れ、早くも“歌う側”の側面が芽生え始めていました。
しかし、高校期に同級生グループ内でバンド志向の仲間と関わりを持つようになる一方、次第に素行不良が目立つようになっていきます。
公衆酩酊や暴行、無断侵入といった軽犯罪で、地元警察に補導・逮捕されることが度重なり、その回数は20回以上に及んだとされています。
当局からは「常習犯」とみなされ、このままでは刑事処分を受ける可能性が高いと警告されるまでになりました。こうした背景が、後に彼が地元を離れ、ロサンゼルスへ向かうきっかけの一つとなっていくのです。
後に、「音楽をやっていなければ犯罪者になっていただろう」と、アクセル自身が語っています。
アクセル・ローズは17歳のとき、保険関連の書類を整理していた際に、自分が長年名乗っていた“ベイリー”は出生名ではなく、 実父の姓が“Rose” であることを知りました。
その衝撃の中で、姓を「Rose」に戻し、以後 W.アクセル・ローズ として名乗るようになります。
さらに数年後、実父が1984年に殺害されていたことを知らされ、その衝撃は彼の心に大きな影を落としました。
イジーが住むロサンゼルスへ
地元ラファイエットでの生活は、もはや限界に近づいていました。警察からの度重なる補導、そして「このままでは刑務所行きだ」と突きつけられた現実。アクセル・ローズにとって、故郷は息の詰まる場所になっていたのです。
そんなとき、同郷の友人イジー・ストラドリンがロサンゼルスで暮らしていることを知ります。そして、自身も移住を決心。音楽を志してというよりも、過去を断ち切り、自由を求めて。
『Welcome to the Jungle』は、アクセル・ローズがインディアナからロサンゼルスへ移住した際に感じた、都会の刺激と危険の両面を描いた曲です。
ロサンゼルスは雑多で刺激的でした。アクセルはやがて、街の片隅で出会うミュージシャンたちとセッションを重ね、音楽の世界に深く踏み込んでいきます。
1983年にはイジーとともに“Hollywood Rose”を結成。荒削りながらも、二人の作る音楽にはすでに後のガンズ・アンド・ローゼズの核となる衝動が宿っていました。
1985年、運命的な再編が訪れます。L.A. Gunsのメンバーが加わり、バンドはGuns N’ Rosesとして再出発。こうして、逃避のための移住は、世界的ロックバンドへの道の第一歩となったのです。
Guns N’ Roses時代のメンバーとの軋轢
1987年、『Appetite for Destruction』が大ヒットを記録し、Guns N’ Rosesは一躍トップバンドの仲間入りを果たしました。
しかし、華やかな成功の陰では、すでにバンド内に亀裂が生まれ始めます。
アクセル・ローズは作品の完成度や構成に徹底してこだわるタイプで、アレンジや曲順、歌詞のニュアンスに至るまで細かく意見を出しました。
一方で、他のメンバーの中には「勢い」や「生の衝動」を重視し、細部へのこだわりを負担と感じる者もいたのです。
また、ツアーではアクセルの遅刻や突発的な公演中止が、現場の不信を高めていきました。こうした価値観の違いや生活習慣の衝突は、やがてバンドメンバーの離脱へと繋がっていきます。
『Use Your Illusion I & II』の制作期にはすでに、Guns N’ Rosesという看板の下で活動を続けながらも、各メンバーのバンドに対する温度差は隠しきれなくなっていたのです。
メンバー離脱後の活動停滞期
1990年代初頭、Guns N’ Rosesは商業的な頂点を極めた一方で、内部の結束は急速に崩壊し始めていました。
まず、1990年にドラマーのスティーヴン・アドラーが薬物問題を理由に解雇されます。
1991年には、長年の盟友であったイジー・ストラドリンがツアー途中で離脱。彼は、バンド内の薬物・酒の蔓延やツアー環境への不満、そしてバンド運営の方針を巡る齟齬を理由に挙げました。
さらに、1996年にはスラッシュ、1997年にはダフ・マッケイガンが相次いで脱退し、オリジナルメンバーはついにアクセル一人だけとなります。
以降、Guns N’ Rosesは解散こそ免れていたものの、実質的には長期の活動停滞に入ります。
この間、アクセルは公の場にほとんど姿を見せず、ロサンゼルスの自宅で過ごすことが多かったといわれています。意外にも外向的な生活ではなく、私生活では読書や映画鑑賞を好み、限られた交友関係の中で静かに過ごしていたそうです。
一部の関係者は、この時期の彼を「音楽よりも自分の内面と向き合っていた」と評しています。
イジー・ストラドリンは、Use Your Illusion のレコーディング期について、プロセスの再構築を重ねるうちに「編集や処理が多すぎて疲れた」と語ったとされています。
バンドに試行錯誤を強いられるフラストレーションが、彼の離脱に影響を与えた可能性も否定できません。
アクセル・ローズの代表的なトラブル事案
1988年 「One in a Million」歌詞問題
1988年、『GN’R Lies』収録曲「One in a Million」の歌詞が、人種差別や同性愛嫌悪を助長するとの批判を受け、大きな論争を招きました。
特に「immigrants and faggots」という一節は全米で非難を浴び、一部ラジオ局やMTVが放送を自粛。
アクセルは「ロサンゼルス移住直後の体験を描いた」と弁明しましたが、その説明も賛否を呼び、世間との対立が鮮明になった初期の象徴的事件となりました。
1991年 セントルイス公演暴動
1991年、Guns N’ Rosesのワールドツアー中、セントルイス公演で暴動が発生しました。
公演中、観客の一人が禁止されているはずのカメラ撮影をしているのを見つけたアクセルは、まず警備に「注意するよう」促しましたが、対応されず。苛立った彼は「俺がやってやる!」と言い放ち、自ら客席へ飛び込み機材を奪取。
観客を殴打しているようなシーンも確認できます。
その後、ステージに戻ったアクセルは、マイクを叩きつけ「このクソ警備のおかげで、もう帰るわ!」と言い残して去りました。
残された観客は激昂し、椅子や設備を破壊。負傷者や逮捕者が多数出る事態となり、ツアーの中断と裁判沙汰に発展しました。
この暴動のあと、アクセルには暴行と治安妨害の容疑で逮捕状が出されましたが、裁判の結果は「有罪判決」ではなく、執行猶予付きの和解でした。実刑はなく、社会奉仕活動や罰金の支払いで決着しています。
1992年 モントリオール公演暴動
1992年8月8日、Guns N’ Rosesはメタリカとのダブル・ヘッドライナー・ツアーでカナダ・モントリオールを訪れました。両バンドは公演ごとに演奏順を入れ替える取り決めをしており、この日はメタリカが先に登場する予定でした。
しかし、メタリカのセット中にジェイムズ・ヘットフィールドがステージ上のアクシデントで大やけどを負い、演奏は中断されます。観客は当然、後半のGuns N’ Rosesに全ての期待を寄せましたが、アクセル・ローズは喉の不調とステージ・モニターの不具合を理由に、開演を遅らせた末に短時間で降板しました。
突然の終了に待ちに待った観客の怒りは爆発し、会場周辺では暴動に発展。店舗破壊や警察との衝突が起き、複数の逮捕者が出ました。
1992年 MTV VMAでのカート・コバーンとの確執
1992年のMTV Video Music Awardsでは、Guns N’ Rosesとニルヴァーナが同じ会場に登場しました。
当時、グランジとハードロックの間には音楽性や価値観の違いから距離感があり、両バンドの関係も良好とはいえませんでした。
1992年、アクセル・ローズはMetallicaとのスタジアム・ツアーにNirvanaをオープニングとして招きたかったようです。しかし、コバーンは「GNRが象徴するものが好きではない」としてこれを断ります。
商業的かつ豪放で男性優位的なバンド像への嫌悪感を繰り返し表明していました。
リハーサルや舞台裏で、アクセルはカート・コバーンやその妻コートニー・ラヴと口論になったと報じられています。
具体的には、コートニー・ラヴがアクセルに向かって冗談めかして「アクセル、私たちの子供の名付け親になってくれない?」と声を掛けたことが、当時の現場関係者によって語られています。
この言葉にアクセルは激怒。「お前のバカ女を黙らせろ、さもなければ…」とカートに向かって言い放ち、カートは嘲笑混じりに「黙れ、バカ女」と応じたと記録されています。
2002年 北米ツアー公演中止騒動
2002年、再始動した北米ツアーは初日から波乱に見舞われました。11月7日・バンクーバー公演は、アクセルの到着遅延で開場前に中止。観客が暴徒化し、会場施設が損壊されました。
さらに12月6日・フィラデルフィア公演でも、アクセルは登場せず中止が発表され、観客が椅子や物を投げる騒ぎに発展。多数の負傷者が出て、ツアーは直ちに打ち切られました。
後年Axlは「知らぬ間にキャンセルが決まっていた」と釈明し、「暴動になると分かっていれば急いで駆けつけた」と謝罪しています。
現在(2020年代)のアクセル・ローズ
2020年代のアクセル・ローズは、かつての波乱含みの姿から大きく変化しました。2016年から、長年袂を分かっていたスラッシュとダフ・マッケイガンが奇跡的にバンドへ復帰したのです。
以降は「Not in This Lifetime… Tour」を皮切りに、世界各地で精力的なツアーを展開しています。
かつては突発的な公演中止やステージでの衝突がニュースを賑わせましたが、現在はそうしたトラブルもほとんど見られません。ステージ上では安定したパフォーマンスを披露し、往年のヒット曲と新曲を織り交ぜたセットリストでファンを魅了し続けています。
結果として、アクセルは“波乱のロックスター”から、“円熟したフロントマン”へと印象を変えつつあります。長いバンド史の中でも、現在は比較的穏やかで安定した時期といえるでしょう。
あとがき(アクセル・ローズ)
世間におけるアクセル・ローズの印象は、長らく「問題児」や「社会不適応」といったレッテルと共に語られてきました。
しかし、その不安定さの背景には、幼少期に受けた虐待や複雑な家庭環境が影を落としていると考えられます。愛情を感じることなく育った悲しい幼少期。
許可された音楽以外は聴くことさえ許されなかった。
彼は意図的に騒動を起こしたのではなく、衝動的に行動してしまう場面が多かったのでしょう。
たとえば、公演中に観客のカメラを取り上げた一件も、「ルールを守らない観客」と「それを制止しない警備」に苛立った結果と見ることができます。
アクセル自身は「問題児」として扱われることを望んだわけではありません。ただ、自分の信念や感情に正直に行動した結果、衝突や誤解を招くことが多かったのです。
そして、音楽に対する徹底したこだわりも、ワガママではなく、純粋なアーティスト性から生まれたものでした。
本章でも触れたように、現在はスラッシュとダフが復帰し、精力的にツアーを続けています。もし会場に足を運べないとしても、Guns N’ Rosesのアルバムを改めて聴き返してみてください。
これまで聴こえなかった“アクセル・ローズ”が聴こえてくることを期待して