人物像:小さな町のカントリーから世界的アーティストへ
ケイシー・マスグレイヴスは、テキサス州の小さな町ゴールデンで生まれました。幼い頃から音楽に親しみ、家族の支えを受けながら自主制作アルバムや地元のイベントを通じて音楽活動に取り組んでいます。
デビュー時のケイシーの音楽ではカントリーを基調にした日常性、人間味ある世界観が描かれています。これは、彼女の生まれ育った地が大きく影響していると見られています。
ゴールデンという地域は、日本でいう市区町村に類する法人格を持たないほどの小さな集落で、人口200人未満の無法人コミュニティー。とても人情溢れる環境で育ったことが想像できます。
下記はGoogleストリートマップ上のテキサス州ゴールデンです(ケイシーの生家の紹介ではありません)。
ゴールデンの暮らしは、音楽と切り離せない環境でした。日曜日になれば教会に人々が集まり、讃美歌が小さなホールに響き渡る。
学校行事や地域のフェスティバルでは音楽が溢れ、子どもたちがステージに立つ機会もありました。ケイシーにとって音楽は特別なものではなく、日常の風景に自然と溶け込んでいたのです。
ただ、小さな町の生活は温かさと同時に閉塞感も伴います。ケイシーの歌詞に登場する皮肉やユーモアは、この「窮屈さ」と「そこで生きる人々の人間味」から生まれたものだと考えられます。
下記は1stアルバムSame Trailer Different Parkから『Merry Go ‘Round』の歌詞の抜粋です。
“If you ain’t got two kids by 21”
“You’re probably gonna die alone”
“At least that’s what tradition told you”
(21歳までに2人の子どもを持たなければ)
(たぶん一生孤独で人生を終えるでしょう)
(少なくともそれが昔からの言い伝え)
出典:Kacey Musgraves『Same Trailer Different Park』(2013, Mercury Nashville)
やがてケイシーは、より広い音楽の舞台を求めてオースティンへと移ります。
オースティンは「ライブ・ミュージックの都」と呼ばれる街で、ケイシーにとって地元では得られない刺激と出会いの場となりました。小さな町で育まれた感性と都会の多様な音楽文化、その両方を抱えて活動をし始めたことが、彼女のキャリアを形づくっていきます。
ケイシー・マスグレイヴスの音楽性
影響を受けたアーティスト
ケイシー・マスグレイヴスはジョン・プラインを「最も影響を受けた人物の一人」と挙げ、日常をユーモラスかつ詩的に切り取る姿勢を学んだと語っています。また、地元テキサスの先輩リー・アン・ウォマックや、自己表現を恐れないドリー・パートンからも大きな刺激を受けています。
ドリー・パートンは美しさも魅力も知性もユーモアも持っていて、ユーモラスで機知に富んでいる。美しい歌も、意味のある歌も書ける。そして“自分らしさを謝らない”態度を貫き、LGBTQの支持者でもある……本当に恐れを知らない人。私は彼女の精神をとても尊敬しているし、とても優しい人なの。
(ケイシー・マスグレイヴスの発言)
一方で、クラシック・カントリーのグレン・キャンベルやボビー・ジェントリーから、シェリル・クロウ、イーグルス、ビル・ウィザースといったシンガーソングライターやロックの系譜、さらにビー・ジーズ、ELO、ダフト・パンクなどのポップやエレクトロまで、幅広い音楽にも関心を寄せています。
実際、Golden Hourの浮遊感あるサウンドや、star-crossedに見られるエレクトロポップ/インディポップ寄りの構成には、こうしたジャンル横断的な影響が色濃く反映されています。
ケイシーの音楽性は、カントリーの伝統を基調にして、フォーク、ポップ、エレクトロニカに至るまでの要素を柔軟に吸収するスタイルから生まれているのです。
カントリーを出発点にした自由な表現
ケイシーの音楽には、語り口や物語性を重視するカントリーの伝統が根付いています。
ただし彼女自身が「私はカントリーでありながら、カントリー“だけ”に収まろうとしてはいない」と語るように、その枠にとどまることはありません。ポップの親しみやすさ、フォークの素朴さ、エレクトロニカの浮遊感など、多彩な要素を積極的に取り込んできました。
Golden Hourではカントリーの楽器編成を基盤としながら、エレクトロやポップを大胆に導入。伝統派の一部から「もはやカントリーではない」と批判を受けても、本人は「ジャンルの壁を越えることが自分らしさ」と語り、カントリーだけに縛られるつもりはない姿勢を一貫しています。
また、歌詞やアレンジの調和も巧みです。伝統的な楽器の響きに電子的なサウンドやポップス的なメロディを自然に溶け込ませ、ジャンルの境界を意識させない仕上がりを実現しました。
ケイシー・マスグレイヴスの軌跡
出生
ケイシー・マスグレイヴスは、1988年、テキサス州東部の小さな町ゴールデンに生まれました。
父親は印刷業を営み、母親はビジュアルアーティストとして創作活動を行っていたと伝えられています。妹もおり、家族全体が彼女の音楽活動を応援しました。
こうした温かい家族環境と田舎町での暮らしが、後の歌詞に登場する人間味あふれる情景や価値観の源になっています。
下記は2ndアルバムPageant Materialから『Dime Store Cowgirl』の歌詞の抜粋です。彼女の故郷愛がよく表れています。
“Cause I’m still the girl from Golden”
“Had to get away so I could grow”
“But it don’t matter where I’m goin’”
“I’ll still call my hometown home”(だって私は今でもゴールデン出身の女の子)
(成長するにはそこを離れなければならなかった)
(でも、どこへ行こうとそれは関係ない)
(いつまでも故郷を故郷と呼び続けるから)
出典:Kacey Musgraves『Pageant Material』(2015, Mercury Nashville)
幼少期の音楽活動
ケイシーは8歳の頃から作詞を始めました。最初に取り組んだ楽器はマンドリンで、地元のイベントなどで演奏していました。そして、小学校卒業に向けて、初めてのオリジナル曲「Notice Me」を書いています。
ケイシーが最初に書いた曲のタイトルは『Notice Me(私に気づいて)』。子どもらしい切実さと同時に、「見てほしい」という欲求は、後に世界へ向けて自分を表現するアーティスト性の萌芽を感じさせます。
家族は彼女の音楽活動を支え、母親がステージ衣装を手作りし、父親が演奏会場まで送り届けるなどして協力しました。
11歳頃に、同年代のアリーナ・テイタムとともにブルーグラス・デュオ「Texas Two Bits」を結成。地域のイベントでヨーデルを披露し、2000年には自主制作CD『Little Bit of Texas』を発表します。
映像はありませんが、下記で音源が聴けます。12歳の頃のケイシーはとても愛らしいです。
さらに翌2001年には、ワシントンD.C.で開催されたジョージ・W・ブッシュ大統領就任関連舞踏会「Black Tie and Boots Inaugural Ball」に招かれ、大きな舞台に立つ経験をしています。
全米規模の公式行事の一部とはいえ、彼女の出番は限定的だったのか、映像や写真は残されていません。それでも、小さな町の少女が大統領就任の祝賀イベントに演奏者として参加したこと自体が、後のキャリアを象徴する一歩だったといえるでしょう。
ティーン期の音楽活動
「Texas Two Bits」の活動が終息すると、ケイシーはソロでの活動に専念します。12歳頃からギターを弾き始め、自主制作アルバムを録音。2002年に『Movin’ On』、2003年に『Wanted: One Good Cowboy』、2007年にはセルフタイトルの『Kacey Musgraves』を制作しました。
限られた環境ではありましたが、作詞作曲から演奏までを自ら担当し、アーティストとしてのスタイルを磨いていきます。
大きな注目を浴びた子ども時代のデュオ活動を経て、小さな舞台から自分自身の音楽を積み上げていったこの時期は、後に「自分に正直であること」を軸に歌う彼女の姿勢を形成した重要なステップだったのかもしれません。
自主制作アルバムや地元での演奏を通じて経験を重ねたこの時期に、プロとして生きる決意も芽生えていったと見られます。
音楽を志しオースティンへ
2006年に高校を卒業すると、18歳でテキサス州オースティンへ移住しました。
オースティンは、「Live Music Capital of the World(世界のライブ音楽の首都)」を標榜するライブの都。年間を通じて数千のライブが行われる音楽の町です。
ゴールデンからオースティンまでは車で約330km、沖縄本島から石垣島に匹敵するほどの距離です。
街の音楽コミュニティは多様で、ジャンルの壁が比較的低く、ケイシーにとって「自由に表現できる実験場」のような場所だったと語っています。
移住して間もなくの2007年、人気テレビ番組「Nashville Star」シーズン5に出演し、7位に入ることで全国的な注目を集めました。
初期の音楽活動(ナッシュビル)
オースティンに移住したケイシーは、カフェやライブハウスで演奏を重ね、ソングライティング活動を本格化させます。生活費を支えるために、イベント出演者と会場をつなぐ仕事や、子どもの誕生日会でキャラクターに扮して歌うアルバイトなど、音楽以外の仕事も経験しました。
その後、21歳頃に音楽の中心地ナッシュビルへ拠点を移します。 ナッシュビルではソングライター向けにデモ曲を歌う仕事を引き受け、作曲家やプロデューサーとの人脈を広げました。
アメリカ南部テネシー州の州都で、人口70万人規模の都市です。アメリカ音楽産業の一大拠点として知られているのと同時に、カントリーミュージックの聖地でもあります。
ケイシーにとって、ナッシュビルでの音楽活動が後のメジャー契約へとつながる大事な基盤となります。
また、すでにメジャー・デビューしていたミランダ・ランバートに楽曲を提供するなど、ソングライターとしての評価も確立しつつありました。
メジャーデビューとグラミー賞
2012年にメジャーレーベルと契約し、翌2013年にデビュー作Same Trailer Different Parkをリリースしました。アルバムは高く評価され、グラミー賞最優秀カントリーアルバムを受賞。ケイシーの名前は一気に全米に広がりました。
同作に収録された『Merry Go ‘Round』は、小さな町の価値観を皮肉交じりに描いた歌詞が大きな話題を呼び、支持と同時に保守的な層からの反発も集めました。
また『Follow Your Arrow』では、同性愛やマリファナといった題材を肯定的に歌い、カントリー界の“禁句”に挑戦したことが高く評価され、彼女の存在を決定づける代表曲となりました。
その後もPageant Material(2015)で伝統的なカントリーへの敬意を示しつつ、自分らしいユーモアとメッセージ性を打ち出します。さらに2018年のGolden Hourでは、カントリーにポップスやディスコの要素を取り入れた新しいサウンドを提示し、年間最優秀アルバムを含むグラミー4部門を受賞しました。
テキサス州の小さな町から音楽を始めた少女が、全米の頂点に立ったのです。
私生活と文化的関心
結婚と離婚
2017年、ケイシー・マスグレイヴスはシンガーソングライターのラストン・ケリーと結婚しました。結婚生活の幸福感はGolden Hour(2018)のテーマとなり、アルバムはグラミー賞年間最優秀アルバムを含む数々の賞を受賞しました。
しかし、2人の関係は長く続かず、2020年に離婚を発表。翌年のstar-crossed(2021)は、この離婚経験を背景に制作されたアルバムとして知られています。彼女は、結婚と離婚という私生活の大きな転機と心情を、アルバムとして音楽に刻んだのです。
クリスマスへの特別な思い
ケイシーにとってクリスマスは、幼少期から家族の思い出と結びついた特別な季節と考えているようです。
2016年にはホリデーアルバム『A Very Kacey Christmas』を発表し、続く2019年にはAmazon Prime Videoで特番『The Kacey Musgraves Christmas Show』を制作しました。
一方で、彼女は「クリスマスは時に泣いてしまう」とも語っています。祝祭の華やかさの裏に、失われた人や時を思い出す寂しさがあるからです。その感情を曲『Christmas Makes Me Cry』に込め、クリスマスの側面も描き出しました。
この両義的な捉え方は単なるシーズン企画ではなく、ケイシーらしい人間味ある表現へとつながっています。
日本文化への関心とジブリ
ケイシーは日本文化にも強い関心を寄せており、スタジオジブリ作品のファンであることも公言しています。
子どもの頃、父が英語版の「となりのトトロ」を持ち帰ったことをきっかけに妹と何度も鑑賞し、長年ジブリ作品を愛してきました。特に「トトロ」や「崖の上のポニョ」をお気に入りとして挙げています。
スタジオジブリ作品の魅力について、アメリカのアニメーションには少ない「間」の表現を高く評価しています。作品には謎や余白が残され、観る者を引き込み、美しい映像世界が絵画のように広がると感じているようです。
宮崎駿監督については、人間の繊細な感情や情緒を言葉ではなく絵で描き出す点を絶賛し、久石譲の音楽も大好きだと語っています。
「となりのトトロ」の影響から、ケイシーは妹のことを「メイ」と呼び、妹からは「サツキ」と呼ばれていたそうです。このエピソードに、スタジオジブリ作品への愛が表れています。
2020年には、ジブリ映画「アーヤと魔女」の英語吹替版で“アーヤの母親”役を担当し、さらに主題歌『Don’t Disturb Me』を歌唱しました。彼女は当時「一生の夢が叶った。ありがとうございました」と日本語でコメントを発信しています。
下記は日本好きな彼女が、東京旅行を楽しんでいる動画です(公式YouTubeチャンネル)。
ライフスタイル
ケイシーは、華やかな演出よりも自然と調和する暮らしを大切にするアーティスト。瞑想や植物との共生について語ることも多く、心身を整える日常の習慣がアルバムの世界観にも反映されています。
事実、各種インタビューで「自然には見守られている」と信じていること、「自然の声に耳を傾ける」姿勢を自らの精神性にしていることを語っています。
都会的な派手さよりも、自然に囲まれた生活や静かな時間を好む姿勢は、彼女の音楽に漂う落ち着きや純粋性を支えています。
自然から得る静けさや心の落ち着きは、従来のカントリーが描いてきた「田舎の暮らし」だけではなく、より普遍的で都会的なリスナーにも共感を広げる要素になっています。
“It’s not money or fame that drives me… The idea of total musical freedom… keeps me going.”
“The idea of fame actually really freaks me out.”(私を動かしているのはお金や名声ではなく、完全な音楽的自由という考えなの)
(名声というものを考えると、正直とても怖くなるの)
出典:GQ “Kacey Musgraves Made a Country Album So Gutsy, It’s Not Really Country” (2018, GQ)
メジャー・デビュー後の作品
1st_Same Trailer Different Park

2nd_Pageant Material

特別企画_A Very Kacey Christmas

3rd_Golden Hour

特別企画_The Kacey Musgraves Christmas Show

4th_Star-Crossed

5th_Deeper Well

あとがき(ケイシー・マスグレイヴス)
今回は、近年わたしが愛聴しているケイシー・マスグレイヴスをテーマに、アーティスト紹介記事を書きました。
約30年間、洋楽ロックを中心に数百枚のアルバムを聴いてきましたが、彼女のアルバムにはとても魅了されます。また、「ジャンルに対する先入観」も緩和され、純粋に音楽を楽しむきっかけも与えてくれました。
1stと2ndに見られる少女のような無邪気さや純粋さ、3rdで表現された大人の女性としての成熟さ、4thで描かれた傷ついた女性の心情ドラマ、そして5thの心の落ち着きと自然との調和。
音楽とは、アーティストの衝動を音で表現し、聴き手に共感を生む「芸術」だと改めて実感します。
テキサス州の音楽好きな少女が世界的アーティストになり、年齢・経験とともに作風を変化させる瞬間をリアルタイムで経験することができました。
現代の音楽ストリーミングサービスでは、1億曲以上の音楽が提供されているそうです。ケイシー・マスグレイヴスのように、わたしが深く共感する未知のアーティストやアルバムはどれくらいあるのか。
わたしの「名盤紹介」と「新しい音楽探し」は、まだまだ終わりそうにありません。
“I hear that all the time … ‘I hate country music usually, but I really love yours.’ Something in that makes me very happy.”
(普段カントリーを聴かない人から“あなたの音楽は好き”と言われることがとても嬉しい)
出典:The Guardian “Kacey Musgraves: ‘I would sound country even if I didn’t want to’” (2015, The Guardian)
(ケイシー・マスグレイヴスのインタビュー時の発言より)

