内省と文学性を秘めた天性の名盤
当サイトの評価
[★★★★]
[名盤・永遠の名盤]
- 1stアルバム
- リリース_1978年
- 作品名_The Kick Inside(邦_天使と小悪魔)
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天才の芸術音楽
The Kick Insideは、英国の天才女性アーティスト、ケイト・ブッシュの1stアルバムです。
ここで描かれているのは、夢や恋愛の物語でも、反社会や反権力の歌でもありません。女性の内奥に潜む官能、哲学的なエロティシズム、執着。近親愛と死。
そして、母性の神秘。
The Kick Insideは、女性の身体性と内面に秘められた欲望や内省を音楽で表現したアルバム。繊細な旋律とケイト・ブッシュの「天性の声色」で謳われた完璧な名盤です。
テーマや歌詞世界だけでなく、ボーカルの主旋律、すべての楽器の構成が緻密・完璧に計算され、“芸術”の域に達しています。
当時、このアルバムを耳にした多くのアーティストは、どう感じたのでしょうか。セールスや人気とは関係なく、その才能に大きな衝撃か強烈な嫉妬を覚えたと思います。
下記は収録曲『Feel It』の一節です。
“So keep on a-moving it, keep on a-tuning in.Synchronize rhythm now”
“Oh feel it, oh, oh, feel it, feel it my love.Oh I need it, oh, oh, feel it, feel it my love”
(だからそのまま動いていて、もっと合わせてきて、今、このリズムを、ふたりで重ね合わせて)
(感じて、そう、感じて――愛しい人。わたしにはそれが必要なの――感じて、愛しい人)
出典:Kate Bush『The Kick Inside』(1978, EMI Records)
The Kick Insideのエピソード
The Kick Insideに収録された多くの楽曲は、ケイト・ブッシュが11歳から16歳の間に書き溜めたものです。当時の彼女は、音楽好きの兄パディ・ブッシュと共にロンドン郊外の教会や小規模な会場で、演奏活動をしていました。
無名の彼女の才能を早くから見抜いたのが、ピンク・フロイドのギタリスト、デヴィッド・ギルモア。
ケイトが16歳のときに録音したデモテープを聴きその才能に衝撃を受け、デビューアルバムの録音資金を支援、レコード会社EMIとの契約へと橋渡しをしました。
19歳でのデビュー作とは思えないほどの文学性と内省性に満ちたこのアルバムは、ケイト・ブッシュの10代の創作活動の結晶とも言える作品です。
アルバムの創作に多大な労力を注ぎ、苦労の末に完成させるアーティストも多い中、あっさりと歴史的名盤をリリースしたケイト・ブッシュには、やはり天才性が垣間見えます。
“The sophistication is tremendous for anyone, incredible for a teenager… she is a find, a precious asset… Where did she spring from?”
(誰にとってもこの洗練さは驚異的だが、10代でこれとは信じられない。彼女は発見だ。貴重な才能……いったいどこから現れたのか?)
—Tim Lott, Record Mirror(1978年)
The Kick Insideの収録曲
- Moving
- The Saxophone Song
- Strange Phenomena
- Kite
- The Man with the Child in His Eyes
- Wuthering Heights(嵐が丘)
- James and the Cold Gun
- Feel It
- Oh to Be in Love
- L’Amour Looks Something Like You
- Them Heavy People
- Room for the Life
- The Kick Inside
「嵐が丘(Wuthering Heights)」を除いては邦題の記載を割愛し、原題のみを掲載しています。レーベルが独自につけたほとんどの邦題は、一般に極めて質が悪く作品の本質を反映していないためです。
PickUp:Wuthering Heights
ケイト・ブッシュを代表する楽曲。エミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』をモチーフに、幽霊となったキャサリンの視点から歌われる異色の構成です。
甲高く透明なヴォーカルは、まさに“あの世”から届く声のように響きます。
この曲の本質は、その非現世的な雰囲気の奥に潜む「激しい嫉妬」や「執念」といった“異常な愛”にあります。
キャサリンとヒースクリフの関係は、死してなお終わらぬ執着の物語であり、それを19歳のケイト・ブッシュが鮮烈な音楽で描きました。
そして、この曲のPVからは、強烈なアート性が伝わってきます。音楽を超えて、何かが彼女に“憑依”したかのような完璧なパフォーマンス。わたしはこのPVに、圧倒的な大自然を目の前にした時の「畏怖」のような感情すら覚えます。
PVを見たとき、「この人は世界観が違い過ぎて、普通の人と会話できるのだろうか?」と疑問を感じましたが、ケイト・ブッシュはチャーミングな一面もあるようです。
最後のインタビューのときの仕草が、とてもチャーミングです。
PickUp:L’Amour Looks Something Like You
アルバム中でも特に静かで官能的な一曲です。
L’Amour、フランス語で「愛」と名付けられたこの曲。歌詞に登場するのは、仮面をつけた人物、感覚の喪失、そして身体に残る記憶。
美しく儚いピアノと、淡々と無常に時を刻むような「喪失感」が滲むドラムが印象的で、心地よい旋律です。
ケイト・ブッシュのボーカルには、空しさの中でまだ何かを求めているような切実さがあり、純粋な“欲”を秘めた本能的な渇望を感じます。
“I’m dying for you just to touch me, And feel all the energy, Rushing right up a me”
私はあなたに触れてほしくて、ただその願いにこの身を焦がしている
出典:Kate Bush『The Kick Inside』(1978, EMI Records)
おすすめの聴きかた
The Kick Insideはアルバム1枚で完結している名盤です。聴くときには1曲目からラストまで「通し」で聴くことをお勧めします。歴史的名盤のほとんどは、アルバム単位で作品が完結しており、映画を観るように「通し」で聴くのが基本です。
内的な衝動を強く感じさせる作品ではありますが、スピード感や激しさとは異なるため、一般的なロックのように音圧や躍動感を重視したリスニング環境でなくても、十分に作品の本質を感じることができると思います。
今作は全体として“性”に踏み込んだテーマを扱いながらも、ボーカルやサウンドに猥雑さや露骨な表現は一切なく、人前で聴いてもまったく問題ありません。
あとがき(The Kick Inside)
わたしにとっての「生涯最高の1枚」であるThe Kick Insideの記事執筆は、予想以上に困難でした。
芸術そのものを、無理に言語化しようとするような感覚。どこかで言葉が追いつかなくなるのです。
本文では触れませんでしたが、アルバムのタイトルにもなっている最終トラック「The Kick Inside」では、近親愛の末に身籠った女性が、ついに胎内で“命の動き(The Kick Inside)”を感じ取った瞬間が語られています。
その静かで密やかな悲痛も、ぜひ聴いてみてください。ピアノが優しく“なにか”を奏でています。
The Kick Insideの魅力を伝えるには、1記事分の文字では到底足りませんが、ぜひアルバム1枚を聴いて、天才アーティスト、ケイト・ブッシュが描いた芸術を感じてください。
そしてThe Kick Insideが、あなたにとっても「聴き継がれるアルバム」になれば嬉しいです。